

【視座次第で変わる】
全ては自分の意思で決めているようで決めていない。
全ては決まっている。
私は宇宙のシステムの一部であり、
そのシステムプログラムの中で
あたかもプレイヤーとして生きているように感じる。
この世界、宇宙の全てを神と呼ぶならば
私は神の一部と言える。
全ては自分の意思で決めているようで決めていない。
全ては決まっている。
私は宇宙のシステムの一部であり、
そのシステムプログラムの中で
あたかもプレイヤーとして生きているように感じる。
この世界、宇宙の全てを神と呼ぶならば
私は神の一部と言える。
変化したいと人は願う。
しかしながら、同じ所をぐるぐる回っている。
人は変化を嫌う。
ルーティンから離れることを嫌う。
安心安全な中で変化したいと思っているのだ。
自分の親しみ、喜びを感じられるものを望み、結局は自分の変化成長を止めている。
自分が変化していると思っていても、
変化が起きていないことがある。
見ているものが形を変えただけであり、
中身は変わっていない。
「わたし」とは
何もので
何をするのに生まれて来たのか
どこからやってきたのか
そんなことをぼんやりと思う。
毎度の自問自答ではあるけれど、
答えが微妙に変化する。
そのタイミングはいつも苦しみから明けた時だったりする。
外や他者に答えを求めて
いかにもな正解を受け取っても
一時の高揚や平安はあるが、
あくまでも一時凌ぎにしかならない
ので自分の奥に届かない。
結局は自分が納得し受け入れるのは、自分の奥から出て来た答えだと思う。
問題をわざわざ探し、
なければ作り上げてまでして
「しんどいよー」って
辛い顔してる地球人ども!
...何したいのかな?
コレはずっと地球人が
やめようとしないことの1つ。
旅が始まります。
この旅は私が一度消えて無くなる
そんな感覚があります。
もう一度私と言う存在をゼロから知りたい。
なぜ私はここにいるのか、
一体何者なのか、
どこへ行くのか知りたいのです。
1月も半ば、ここに来てガタガタと崩れ崩壊する感覚を味わっています。
これは目に見えないレベルでのお話。
今まで出来てたことが出来なくなり、
噛み合っていたものが噛み合わなくなったり、
身体からそれをブルブルと感覚で味わっています。
あけましておめでとうございます
令和七年どんな意識になっていくんだろうかと
わたしに注目しています。
去年の末には意識の拡がりがいろんな変化をもたらして
新年早々に世界の切れ目を受け取りました。
色鮮やかな木々たちの宴があちらこちらで行われて、
雅やかな京都の秋に目も心も耽ってしまいます。
11月より様々なレベルで過去の私が作ったもの、選んだものを手放してきました。
だいぶ整ってきたと思った矢先にここに来て、
「神に接地出来ない私」という一側面が現れてきました。
この感覚は本当に頼り無く、細い糸で何とか“わたし”が生き繋がっているようです。
私とはいったいなんだろうか。
この肉体を動かすもの
思考するもの
どんどんと私というものを押し進めていくもの
これらはいったい何なのだろうか。
物心がついた頃から、ふと思うことがあった。
2024年の5月にイタリアとフランスへ。
最初に降り立ったのはローマ。
4日間はどこへ行くとも決めず、
テルミニ駅から歩いて7分の場所に宿をとった。
この旅の意図は「もっと”わたし“を知る旅」
天にその意図を投げてただのんびりと動かされるのを待つ。
ほんとに。
自分の中にあるいろんなものを教えてくれて本当にありがとう。
おかげさまで自分を知るキッカケをもらえた。
私も自分の真実をみんなの前で語る。
誰かの何かのキッカケになって
それがいろんな所へと飛び火する。
それってどうなの?
そんな疑問から自分のことを知っていく。
そして気づきが起きて自分の真実に出会う。
ずっと私はこれに辿り着きたかったんだ。
正解で在ろうとせず、自分で在ることで私は完全だった。
ただそれだけ。
世の中の正攻法や正しいとされること、
みんなが向かう方向、良きことなど全部が
私の隙間、不足と感じる部分には全くハマらず
私が余計に歪になるだけだった。
朝からしとしとと音を立てて雨が花壇に植えた野菜たちを撫でていて、
雨は瞑想や内観をするのに心地よい場のエネルギーを作ってくれると思う。
私は雨の日に心の状態が落ち着いてリラックスするのを感じる。
あゝ、心地よい。
昨夜の新月瞑想会はいつもと違って音が加わった。
たった今起こったこと。
冷蔵庫の上にあるポトスという植物の枝垂れ落ちる葉っぱを窓際に移そうと手を伸ばしたらカサっと音がして指先に何か触れた。
掴んで手元に引き寄せるとスイスで買ったチョコレートだった。
ずっと探していたものがやっと出てきたのだ。
私の体験やクライアントの方々のアドバイスとしてガイドたちがよく言うのが、
【思考から結論や物事の流れを創造するのは馬鹿!】
本当にこれに尽きる。
宇宙の創造は多次元的に行われている。
そして時間に関係がない。
これを決めた時に困ったのが、
自分の中でブログの定義を知らずにいたことだ。
心の矢印がくるくると回り続けて
何処も指し示さずに行動にまで向かえなかった。
ここで私のブログを明らかにする必要があるだろう。
いわゆる世間一般は私に通用しない。
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