Picture of uyuni

uyuni

【多面的な私】

たった今起こったこと。

冷蔵庫の上にあるポトスという植物の枝垂れ落ちる葉っぱを
窓際に移そうと手を伸ばしたら
カサっと音がして指先に何か触れた。

掴んで手元に引き寄せるとスイスで買ったチョコレートだった。
ずっと探していたものがやっと出てきたのだ。
残っていた最後の1個を口に入れてモグモグ……

はて? なぜにあんな目の届かない場所に?

とりあえずブログに書いてみる。

先の2本のブログとは毛色が違うが
紛れも無くどれも私が書いている。

私の中にはいろんな“わたし”があって、
どれがほんとうのあなたなの?と聞かれると
私は多彩ですと答えよう。
私自身が今生で全てを見尽くすことは出来ないだろうと思う。
私の側面は人の数だけ、それ以上にあると言える。

多面的な存在。
これは宇宙と同じ。
そして多層的。
これも宇宙と同じ。

宇宙と世界、日常、私を見るとフラクタルで創造されているのが分かる。
これはフィジカル、スピリチュアルどちらも同じで
宇宙を神と呼べるならば神は何処にでも存在すると言える。

日本人はこのフラクタルをあらゆる場所で発見し、
物にも神さまを捉えて手を合わせ、
自分の内側に神性な意識、エネルギーを感じ内在神と呼んだのかもしれない。

私は意識や構造に興味があり、そのエリアでよくフラクタルを発見する。
正直、この事について文章で説明するのはしんどい。
この捉えているという状態だけでも意識が飛んでいそうなのをなんとか堪えている状態で、
さらに抽象度を下げて細かなパーツにして説明する、しかも文字にするは脳が焼けるので
今の私は避けておこうと思う。

ただ、このフラクタルを発見すると私の全てが宇宙という神の存在に賛美と「うわぁ〰︎やられた(嬉泣)」となる。
本当に美しく、無駄という概念もない完璧な構造に圧倒感服し、畏敬の念が溢れる。

この話は近いうちに会を開いてみなさんに味わってほしい。
お楽しみに。

 


⚫︎ 写真はフランスのストラスブールにあるノートルダム大聖堂に行ったときにあったステンドグラス。
 イエスや背景のモザイクをよく見てみるといろんな人々の顔や植物を集めて出来ている。