【セキュリティプログラムを手放して】

色鮮やかな木々たちの宴があちらこちらで行われて、
雅やかな京都の秋に目も心も耽ってしまいます。

11月より様々なレベルで過去の私が作ったもの、選んだものを手放してきました。
だいぶ整ってきたと思った矢先にここに来て、
「神に接地出来ない私」という一側面が現れてきました。
この感覚は本当に頼り無く、細い糸で何とか“わたし”が生き繋がっているようです。

昨日は晦日詣で、今日はお一日詣りに氏神様の元へ
本当に辛くて…

何がって、
私の大元である神にまったく触れられないのです。
形式的に手を合わせることはできるのですが、
深い意識のエリアではまったく持って触れていない。
哀しいわ、辛いわで半泣きのお詣りでした。

そんな意識を見ていけば、
私が作ったプログラムで神に触れる事を禁止している自分が見えてくる。
なんでそんなものを作ったのかにもきちんとした理由があり、
「神に触れたら自分を思い出してしまう。そんなことしたら地球での体験がすぐ終わってしまう。」だった。

魂からしたら、この地球での経験、体験は超貴重!
魂の次元では味わえない周波数の学びが地球には沢山あるわけです。
魂の自分という存在を忘れているから肉体に収まり人間として居られるのに、
それを思い出したならば人間の自分、肉体に別れを告げて地球を離れることになってしまう。
自分で望んで地球に来たのに、すぐに帰ることはしたく無い!そんなことで、
理由を思い出したからにはさっさとこのプログラムを手放しました。

だからと言ってすぐに思い出す訳でもないんです。
私たちはこの様なバーチャルリアリティである地球から簡単に抜け出さないように、
様々なセキュリティ的プログラムを自身に埋め込んでいます。
そうやってなかなか自分の正体に近づかないようにしているので、
日々プログラムに気づいて手放すを繰り返し生きていくのです。

さて、プログラムを手放した私は意識の奥深くで神に触れ、
私は神の一部なんだと思い、私の中に神の存在を感じ始めます。
今度は溢れてくる喜びと神と自分への感謝に涙。

冬至まで後19日ほど。
私はさらに深く深く自分の内側へと向かっていきます。
手放すことでさらに深く内側へ。
本来の私に気づいて行く。
自分の中心へ。
純粋な私へと入っていきます。

大きな流れとサイクルに身を委ねて生きています。